千手観音菩薩霊験記1
奈良の薬師寺の近くに住む盲人が千手観音像の御利益で両目が見えるようなった話。 |
今は昔、奈良の薬師寺の近くに住む両目が見えない盲人がいた。
ある時、千手観音の誓願に「目の見えない人に日摩尼(にちまに)の御手をあてて見えるようにしてやろう」とあるのを知り、薬師寺の東門の所にすわり長年千手観音を念じていた。
阿部天皇の御代の頃、二人の人がやってきて盲人に「そなたが哀れなので目を洗ってやろう」と目を治療してくれた。
その後、盲人は見えない目がたちまち見えるようになって「きっと観音菩薩様が人に変じて助けてくださったのだ」と涙を流し喜んで尊んだと伝える。
(今昔物語巻16の23)
「日摩尼」 観音が左上方第1手にもっておられる宝珠のことで太陽の象徴 |
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木曽檜材は日本の木彫(国宝、重文など)に古来より使用されてきた最高の彫刻材です。かぐわしい香りがして美しく、時代が経つほど檜の良さがでてきます。縁起の良い陽木ですから一般家庭のお仏壇用、会社事務所などの守護仏などには最適です。 |
高僧解説
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道元禅師、承陽大師ともいいます。1200-1253幼名を「文殊丸」と呼ばれたほど頭脳明晰だった。希に見る、思想家で只管打坐(しかんたざ)を極めた日本曹洞宗の開祖。「正法眼蔵」の著者。
達磨太師は禅宗の開祖。本名を菩提達磨といい、達磨大師ともいいます。崇山少林寺に住し、九年間壁に向かい座禅した話など伝説豊富です。
伝教大師最澄は学問好きで諸学に優れ、比叡山延暦寺で一切経読破、天台智、大乗仏教に傾倒、更には密教、禅など巾広い文化を弟子や学生に伝えます。
瑩山禅師(太祖、常済大師)(じょうさいだいし) 道元から四代目にあたる瑩山は、多くの弟子を育て禅を広く大衆に広め、曹洞宗の基礎をつくりました。
賓頭盧尊者像は禅宗寺院の堂の前や外陣に置かれ病のある部分を撫でると、その病気が治るとされ、なで仏の風習が広がりました。
道元、瑩山は禅宗の高僧、伝教大師は天台高僧、賓頭盧尊者は十六羅漢の部に入ります。 |
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